本音なんて語る資格がないと言われればそれまでであるが、インスタント食品は食べたくないのだ。










気づけばカレンダーを10枚めくっているそうな。

そして11枚目をめくりかけているそうな。

2020年の手帳コーナーが本屋のスペースを陣取っていたりするのはそういうことなのだと思う。


オリンピックのチケット抽選が行われていたり、選手内定の情報が出てきたり。

トーキョーと言われて シャァァアァアとか言っていたのが、もうウン年前という事実がおそろしいものである。お、も、て、な、し、っていつの流行語だったっけな…とかも思ったりする。



そのウン年の間に自分自身がなにかしらを失い、そしてなにかしらを手にできているのかは、不明だが。まあそういうことなんだろう。

いちばんになって必ず戻るから~~ここ~こ~くりつに~~とか言ってたのって、何年前だっけか。




いっそこのまま流れていって、おばあちゃんになってみようかとも思うのだが。

ただでさえ今でも目立っている白髪が今以上増えるのにそもそもの毛量は減っていくのは嫌だな、とか。そもそもおばあちゃんになったところで優先席に座らせてもらえるわけではないしな、とか。


免許は返納しなければならなくなるし、クルマを動かさなくなる代わりに自分自身を動かさなきゃいけなくなる。

正直、体力的にも精神的にも、きっとキツイな。うん。

いや、意味不明なところまで考えがちであるから、とりあえずここまでにしておこう。



さてさて、そんな私のよくわからない感情は置いておいて。本題。



もう少ししたら2019年が終わってしまうらしいけれど。何年経ってしまおうが、"わたし"は、なにも変わっていないらしい。


どうでもいいことばかりに目を向けては生み出さなくていいはずの感情を生み出していたり。

現実を見ろと言われるがままに現実を見ていたら、まわりは夢を見ていたり。



自分でもわかってはいる。

ズレてることくらい。

現に、自分で痛いほど、世界とのズレを感じている。



なにが正しいとかじゃなくて。

そもそも世界が違うのだと思う。




2019年って、たぶん、いちばん。

たぶん、いちばん、自分の中で"いろんな出来事"が重なっているはずなのに。

それなのに、時間軸の体感が無い。


ひとつひとつの出来事について、必死に噛み砕いて咀嚼するので精いっぱい。

やっとひとつ噛み砕けたかな?と思ったら、まわりはもう3種類くらい噛み砕いている。


タピオカの大きさよりも細かく砕いて、その弾力がなくなるまで噛み続けるのは、この世界では御法度らしい。



少しでも速度についていけなかった者は、1秒でも遅刻した者は、the end 。

…世界 というものはそんな単純明快な理論で展開されているんだな、なんて思う。




その世界に対してコース料金を支払っているはずが、その世界は インスタント食品のような情報をファーストフードばりに早食いして、回転率を上げていなきゃいけないそうだ。





現実、ちょっとしんどい。




早食い競争で得る愛なんて、この世界で、ホントに必要なのだろうか



なんて。思うんだー。わたしは。




もちろん、その世界に住む人たちは

ゆっくりでいいよー

とは言ってくれない。



まあ、事実として当たり前だ。彼らには伝えなきゃいけないものがすでにたくさんあって、すでに仕事のキャパを超えているのだから。

デスクに何枚も付箋を貼って この案件の締切はいつだ~とか至急案件が~とか、やっているんだと思う。


彼らには、彼らとして生きることに現時点での期限があるから。

人としてそうなるのは当たり前なんだと思う。




自分のペースでいいんじゃなかったのか?

わたしとしての体感は、コース料理の前菜が終わったあたりなんだけど。

彼らはもう、シメのデザートなのだろうか。



彼らが彼らを全うしようとすればするほど、彼らが生き急いで死に向かっているような気がして。


三者の外野であるわたしが苦しくなるのは、何故だろうか。







……そんなことを今、考えている。







ノシ













ただの殴り書き









今思えば、その人たちは、いた気がする。



いや、いた。




朝はまだしも昼に電車に乗り遅れれば無人駅で30分待って、

切符は降りるときに車掌さんに手切りしてもらい、

むしろ車を走らせる方が便利な、

駅前にコンビニなんかない、

むしろ警察すらいないから不毛地帯

田んぼと川と家しかない、

道路は1車線が当たり前な、

ドがつく田舎でも。




いちばんに思い出すのは、二宮くんがすきな女の子。

ドラマに出るたび、ニノニノって言ってた。

その子はいつも、女の子っぽい ピンクやフリフリがついた服を着てたな。

よく、お母さんネットワークの中で暴れてて、あれやらこれやら尾鰭がついた噂も流れてた。


……今は多分きゃりーちゃんがすきな、女の子。








そんな、ドがつく田舎にいると、得られるはずのないものが得られないことがある。その頻度としては、多いと思う。


当時は今よりも情報が入ってくる方法がなくて。

雑誌か新聞かテレビ番組だけといっても過言ではなかった。


地域限定の番組情報はほとんどわからない。

キー局すら、野球やらなにやらで放送が危うい地域。



……私は、そんな、ド田舎の、陰キャラのネクラな女の子だった。






もうちょっとかわいい女の子だったら、今も楽しめていたのかもしれない。
















自分がその塊に興味を持ち出して数年後、彼らは日本を飛び出した。


その時のことを こわい と表現する心の強さが、きっと5人だけであの会見を行えた 理論的な理由なのだろう。











あの日からの、


未来を悲観するまわりの考えていることが、よくわからなかった。



彼らはたしかに、未来を報告した。



しかしその上で

あれだけ意識して、

今をいっしょに楽しもう

伝えてくれているのに。



後ろには明日がないから、

前を向いて今をいっしょに楽しもう。

……と、20年前の過去も20年後の今も

きっと同じことを言っているのに。



永遠なんてないことを拒絶するかのように、最後を拒んでいる。

そして撤回 復活 を望んでいるのに、最後 と表現する。

その理由がわからなくて。



まるで、今だけを生きたら殺されるような。



ひとは

いまだけしか

いきられないのに。




……その空気が、どうも私は苦手らしい。





しんどかった。


だから、

声を聞けば

あらしだいすき!

とエコーが流れたあの日と同じように

興味のないようなこころを磨いたんだと思う。














それをバッサリ斬ったのも、今日の彼らだった。






未来が見えなくてもがいた彼らが

いまだけを考えて生きていいと

教えてくれているような気がして。




何も考えてないと言われてきたネクラなド田舎の人間にも

いまを生きていていいんだと

きみだって置いていかないから大丈夫だと

言われているような。





そんな感覚がしている。













……でもこれ、まだコース料理の前菜とかなんだもんなあ。



ふふ、さすがだね。




嵐の皆さん。








ノシ























友を信じる やさしいこえ が 遠く遠く きみのもとへ 届きますよう、




よくわからない文章を、殴り書きすることにした。




















たとえ、限界を突き破って 音速のその向こうへ  行けたとしても。

6等星のまま これ以上望まないで 生き残る 

ということは、不可能だと思っている。


ゆめをみることも、たやすくはない。


もうダメだと思う瞬間は、みんな、おなじ。





もちろん私だって、最初からずっと青信号のままに走り続けていたわけではない。

赤信号の交差点に立って。だいきらい と もうどうでもいい という言葉のナイフを、自分のこころにグサグサと刺していたときがある。


…ただ、もし、そのときがあの頃のこの日なら、そのときの5人の選択は 絶対に社会的に許されなかったのだろうと思う。







外野は黙っとれよオマエが言えた言葉じゃねえよ

ってのは、たしかに本音なのかもしれない。


だけど、いつだって。

いつだって、最も冷静で 最も客観的で 最も適した言葉を選択できるのは、外野である一般人ということは事実だ。



画面を見れば、さまざまな言葉が溢れ出す。

そりゃあそうだ。発信する側が人間で、受信する側も人間なら、"相互総意"は存在しない。むしろ一方通行ばかりだ。

そこだけは、どんなに世界がやさしくなろうと絶対的に崩れないのだと思うし、忘れてはいけない。


何かの言葉に大多数の人が右を向いたとしても、左を向いた少数の人を見落としてはいけない。見て見ぬフリをしてはいけない。

だって 右を向いていようが 左を向いていようが、みんな 人間なのだから。



…あの5人は、このことを、きっと、いちばんに、理解している。気がする。

















人づてに聞いた情報と画面に表示された文字によって、私の指は、ブックマークしたサイトへと急いでいた。


怖い というよりも、人づてじゃなくて自分で、その事実を確認したくて たまらなかった。



サーバーダウンしていたその世界の中で何度か更新マークをタップして、出てきてくれた事実を自分の五感で確認して。




ついに、来たか。




これが最初に生まれてきた感情の変換措置だった。






5人でいる、ずっといる。



その言葉の理由が わかったような感覚だった。








不思議だった。






あらわれた事実たちに対しては、かなしくない。





ただ。


あやまるその姿に、かなしくなった。










光と陰をループして、止められない時間の渦を 全て飲みこみながら。


誰にも見つからないように、誰にも知られないように、でも 相当な時間をかけて。

…あの相葉雅紀ですら、1年半以上、4人以外には一言も発さずに笑ってかわして、黙り続けていたのだ。



はは、してやられた。とんでもねえな。



人間が 人間の本音を聞き出す、というものは本当に難しい。

決心のきっかけは、理屈ではない。その中で、生きるために、選択肢からたったひとつを選んだということだけが、たったひとつの真実で。

その中で 5人が時間をかけて選んでくれた、たったひとつの選択肢は、最後まで、やさしすぎていて。




謎解きができたよ、かなしくないよ、やさしすぎるよ、なんであやまるの?

…それが たぶん、私の"受け止め方"と呼ばれるものだった。










一眼レフカメラのフラッシュの光の多さは、きっとそれだけ、5人が時間をかけて築き上げた"嵐"という名の城の大きさの可視化だった気がする。



……質問と変換されるその言葉を選ぶのは、本当に難しかっただろうな。

5人でいると、あまりにも陽が強いから。5人でいると、何にも敵わないって知っているから。

きかなくても、こたえがわかるから。

陽があるなら陰もあるって、人間だからこそ気づける感覚を信じるしかないんだろうな。


でも、だからこそ、"5人で記者会見"をやらせてもらえたんだろうね。


あまりにも大きすぎるその城の中で もがいていた5人は、確実に、その城があったから成長したのだと思う。










もし、もしさ。



彼らにとって あの日の声が聴こえたなら。

そして、明日が動き出したのなら。

理由は、要らない。

…そういうことだ。



今こそ 明日を見つけなきゃ、と、決めた方へと 5人で走る。



だって、あの5人は、もう一度"あの日"に戻るとしても 同じ道を選ぶだろうから。



時間をかけて作り上げてきたその城を、大砲を撃ってぶち壊すのではなく。

取り残された市民に提供した"逃げる時間"の間、ひたすらに、四方八方から射られた矢を全員で受け続けて。

死ぬその瞬間まで、言葉よりも大切なその場所を、守り続ける。

その選択肢を選んでくれたのだ。



兎角、何もかもが手に入るこの時代で。

嘘が真実になる世界で。

そんな世界がある こんな星に生まれてきたことを もう後悔しないようにって、なかなか手に入らない"勇気"をくれている。

…しかも、笑いながら。




かなしいほど きれい だね。




とんでもないね。あのひとたち。



とんでもなさすぎて、こええよ。



とんでもなくやさしくて、こええよ。









時間をかけて と言っても、もしかしたら彼らにとっては、振り返ってみると いやに短期間だったのかもしれない。

その中で、たったひとつ を選んでくれたこと。




受信する側の人間が 発信する側の人間の言葉と表情に嘘がないことを信じているから、だから、5人は、名も知らない顔も知らない たくさんのひとを信じてくれたのかな。

…なんて思ったら、ぶわあっと、雫を超えた波が目に襲いかかっていて止まらなかった。









……いつか、赤信号だったあの頃の自分に声をかけられるとしたら。

青信号になって足を出してみたら、とんでもなくやさしいプレゼントがやってくるよって、伝えたいなあ。









残された時間 という表現で変換されたその猶予を、彼らから多すぎるくらいに与えられて。

その時間の先でちゃんと、かたちとして残せるようにしてくれたのだから。

早食いしないで ゆっくり噛み砕いて 消化したい。














車輪が回り出したら、旅は、始まってしまうから。


だから その願いは どうか、透明なままでありますように。



君がいつか知りたがっていたエピローグ。

その日のその瞬間の空は、輝く星たちばかりでありますように。















人生は、これから。前、向いてこうぜ。



振り向くな、後ろには 明日はないから。



めぐる季節の風に乗って、さ。



あの日の空 に 誓った言葉 は、きっと未来へ届くから、さ。



あなたのゆめは、みんなのゆめさ。

















5人でトップになったよ

って5人から報告がくるそのときが楽しみだよ。











…わけが分からなさすぎて、箇条書きよりも駄文になった。


でもこれが、きっと、今の私の気持ち。




ぐっちゃぐちゃだけどね。まだ、噛み砕きのスタートです~くらいだから。コース料理の、前菜の ひとくちめ だから。






いまさら 出逢う前になんて 戻れないから。







きっと、しあわせになる夢のコース料理なんだろうなあ。








…嵐さん、美味しく、いただきますね?

 











ノシ


会いに「いきました」。


すきなひとに会いに。



……という表現を使うのは、初めてな気がする。



コンサートや舞台、国際大会。

その場所に行くときはいつも「観に行く」「聴きに行く」という感覚だから。

「会いにいく」ではないから。



だから、「すきな人に会いに」いくという言葉を使って良い場所に自分を動かしたのは、初めてな気がする。




巷を騒がせるゲイノウジンだって、その中身は、にんげん。


だから生きているし、だからこそ、すごいんだと思う。



名前も顔も知らない人からの偶像崇拝を押し付けられて、その中にいる自分と戦い、なおかつ自分の中の自分を受け入れてもらえるようにする世界。


……そんな恐ろしい世界だからこそ、そのひとのファンと呼ばれるひとは、その姿を見て、自分を生きさせていこうとするのかもしれない。



かくいう私も、すきなひとの本来の人生を殺しながら、そのひとのことを好きでいるのだ。


ほんとうに、残酷なことをしている。

だってそのひとのその人生の、そのひとの本当にしたい時間を奪って、なおかつ そのひとを殺しているのだから。





だからこそ、びっくりしてしまった。




目の前にあらわれたすきなひとは、恐ろしいくらいに、そのまんまでいたから。




アイドルをしている上で感情を捨てた

と言ったひとだっているのに。



恐ろしいくらい、斉藤優里さんは、そのまんまだった。



もちろん、私は、本物の斉藤優里さんのことを、何ひとつ知らない。

だからきっと好きな食べ物だって違うんだろうし。

得意料理とか、プライベートの生活も、仲間内でのことだって、本当はきっと違うものなのだと思う。また、それを知る権利もない。



私が知っているのは、乃木坂46のメンバーオーディションに合格して、乃木坂46のメンバーとしてデビューした本人が作り上げた「斉藤優里」でしかない。




だけど、それすらも、「本来の斉藤優里」なのではないか、とすら、思えてしまった時間だった。 




そして、それ以上に、



どんなメイクをしようか。

どんな服を着て行こうか。

少しでも痩せてから会いたい。



……と、自分が自分としての人生を作る上で、どこかで捨てた感情を抱いていて。





すきなひとの存在は、恐ろしい。

だからこそ美しくて、すごいことなのだと、思ったのである。





枚数を多く買えるわけでもない。

なんなら抽選にも外れる。

認知されるようなこともしていない。

なんなら用意してた言葉すら言えない。



ただ、すきなひとに対して、恥がないように生きていたい。


そんなファンでありたい、と、私は、思う。











東京ビッグサイト幕張メッセの帰りの電車で、そんなことを考えた。










ただそれだけの話。










ノシ




















あふれてる、この胸の中。叶えたい夢の模様には、感動的なきみの泣き笑う顔も映ってる。






やっとこさ2016年最後の振り返りである。
吹っ切れたあとの3ヶ月も なかなか濃い時間だったなあ、と、手帳を見ながら思ったので、長々と文字にして残しておこうと思う。












*10月
・KUNIKA 6th Voyage
Perfume COSMIC EXPROLER Dome Edition@京セラドーム


6th Voyage。菅野結以さんがきっかけでチェックし始めた、スイーツアーティストのKUNIKAさんの個展が自分の足で行ける場所で開かれると知ったときは、飛び上がるほど嬉しかった。その世界は『ただのスイーツ』じゃなくて、『かわいい』に対しての裏側というか…『かわいい』は残酷さも持ち合わせているからこそ 美しくて儚いものなのだと感じた。
そして、KUNIKAさんもすごく素敵な方で。パンフレットにサインをしてくださっただけじゃなくて、その場のフィーリングでイラストまで描いてくださって、本当に嬉しかった。

CE。オーディエンスが本当に持ってくるべきものは グッズでもお金でもなくて、チケットと心と身体だけなのかもしれない……そう思うほど、すべての要素が重なった一瞬一瞬が 彼女と大勢の人たちが作る『作品』で、だからこそこの瞬間がすきだなあと改めて感じた。
そんな作品の合間でのMCでは、彼女たちが人間であることを再確認することができて。スイッチの切り替えという面に対してもすごく勉強になった。

VBB。もともと大阪公演は平日1公演のみの予定だったのを、みーちゃんを誘って2公演に。ただでさえ日数が少ないしキャストも豪華であるが故に一時は諦めかけたが、素敵なご縁に恵まれて2公演 観ることが出来た。
東京のときよりも細かなところがスケールアップしていて、最初はアドリブなのかな?と思った『空を飛んでたら〜』のシーン。離れた場所だからこそ分かる、全ての要素の融合体。そりゃあ、何度みても飽きないわけだよ。だってすごく深くて、すごくおもしろいんだもん。
こんな素敵な舞台を3公演も観ることができたことに感謝。

…そして、みーちゃんと観劇した日の夜は、しいちゃんと合流して、念願のお酒。住んでいる場所はバラバラだし、性格だって違う。本当に、偶然の縁がなければ出会うこともすれ違うこともなかったであろう奇跡。あのときの私はきっと人生で初めて酔っ払っていたのだが、すごく濃くて大切な時間を過ごすことができた。



*11月
・FANTASTIC OVER@東京ドーム
・卒制に追われる
・バイト先の異動により店舗移転、辞める決意をする


FO。やっとたどり着いた舞台。追い続けてきた夢のひとつを叶えさせてあげられたこと。ここまでの11年…いろんなことがあって、いろんな感情があって。出会いと別れを繰り返し続けてきた彼らの姿と音楽のカタチを観ることができたことに、涙が止まらなかった。
11年前は観客がひとりもいなかったのに、いまじゃドームを埋めている。アリーナツアーができるようになって、ファンクラブに入っていてもチケットが取れない。本当に凄いよ。
彼らが放った『ありがとう』と『会場が変わっても 俺らは変わんない』という言葉を、私はこれからも信じていく。


卒業制作も、完成形に向けて最終調整をしていたのだが、そんな中で、バイト先が移転することになって。最初は移転メンバーで頑張ろうと思っていたのだが、移転したことによって、これまで必死に積み上げてきたものが全部壊れてしまって。だけど人は少ないから、やっぱりほぼ毎日バイトに行って。そして家に戻ればお手洗いで嘔吐を繰り返していた。
いま思えば、精神的に限界だった。
『自分このままだと死ぬかも』と思ってしまったことがきっかけで、年内で辞める決意を固める。



*12月
・24から感謝届けます@京セラドーム
・Are You Happy?@東京ドーム



辞めると決意して、店長にだけはすぐに報告。さすがに『バイトに入るたびに吐くから辞めます』とは言えず、理由はオーソドックスなものにしたけど。たぶん店長はあのときにはもう気づいてたんじゃないかな…とも思っている。
他のバイトさんにも真相は言わなかったし、タイミングが合わずほとんど話さないで終えた人もいるから、そこは申し訳なかった。
そして、これからを考えるとお金は必要だったから、バイト探し。面接。短期で春まで繋ごうと思っていたこともあり、なんとか繋ぐことができる確約をいただいたときは一安心だった。


24。こんなに早く この会場を彼らが使う日が来るとは。いろんな情報が巡り巡っていて、当時は どの情報が正しかったのか分かんなかったんだけど、たぶん、彼らが生み出したカタチが全てで。そんな中で追加公演 オーラス と2公演入ることができて、それぞれがそれぞれで成り立ってるそのカタチを観ることができたことが嬉しかった。
今回は元バイト先の後輩が重岡担ということもあり、2公演とも一緒に入った。彼女もまたすごく楽しんでくれたみたいで何よりである。

…そんな私は、STAY GOLDとDial upで毎回泣いてた。彼らが確かにそこにいた軌跡を残してくれたことに涙が止まらず、彼らと彼らの戦友がたしかにそこにいた。
誰かが誰かにファンサをしているだけで私まで嬉しいし、この人たちをすきでよかった と何度も思わせてくれたこの公演を、私はきっと一生忘れないと思う。

そして、ドームではたくさんの人に会うことができた。北から南まで、いろんなところから集まって。不思議な縁が導いてくれたからこそ、仲間に会うことはすごく大切な時間である。


あゆはぴ。ずっと前から『相方と一緒に入る』と目指してきた嵐のコンサート。しかも東京ドーム。いろんなことを乗り越えてきた子と入ることが出来ると分かったときは 信じられなさでいっぱいで、駅のホームで泣きかけた。
チケットが届くまで不安だったし、届いてからも現実味がなかった。
そんな中で始まって、すべてが現実世界で起こっているとわかったときに起こった鳥肌は 今でも忘れられない。
きっと泣かせるつもりのないであろう曲で号泣をかまし、最後の最後に持ってこられた曲でトドメの一撃。コンタクトが外れかけるくらいだったから終始泣きっぱなしだったような気もするけれど、夢の時間を過ごすことができた。

また、ここでも、たくさんの人と会うことができて。本当に、縁と奇跡を感じられる瞬間を自分が経験できていることに、感謝しかなかった。










…と、以上が、私にとっての2016年である。


2017年が始まっているので2017年のことも少しずつ書きたい気持ちではあるが、それはまた次のときにでも。










ノシ



WAY OF GLORY






まだ2016年を振り返り終わっていないことに気づいた。



早く振り返り終わりたいし前に進みたい気持ちがある。なのに私の2016年が2017年になれないのは、紛れもない事実を受け入れることに時間がかかっているからなのか。








結婚。出産。卒業。



女性という性を持って生まれたひとは一度は頭をよぎるであろうその言葉たちに対して、正直、私はそこまでショックを受けなかった。


永遠に咲き続ける花はない。

永遠に生き続けるひとはいない。

それを知っている上で、覚悟を決めた上で、ひとは生きているのだと思う。



コンサートやイベントのMCで そういう話 をするのがタブーではなくなったのなら、きっと 上のひとたち だって許可していたのだと思うし。そうなる未来だって予想できてた。



だから、そうなるとき に対して覚悟していたし、もし そうなる としたら その『1番最初』はきっとこの子だと思っていたから。

だから、それに対しては『そうなのか』と、素直に受け入れていた。






…ただ。



此処まで来ることに時間がかかっていることも、やっと此処まで来ることが出来たことも、知っているから。



いわゆる『下積み時期』も『売れない時期』も知っているから。



だからこそ、彼女が いつか言っていた

『地元で1番大きな会場のナゴヤドームで、AAAとしてライブがしたい』

という夢を 叶えさせてあげられないということが、本当に悔しくて。




Zepp Nagoya。センチュリー。そしてガイシ。

時間がかかっていたからこそ、ファンとして、彼女の 夢 を叶えさせてあげたかった。




…それはきっと、私が推し続けてきたグループの、私が特に推し続けてきた女の子だから。







ただね




『だいすきだった』じゃなくて、『だいすき』なのである。

『憧れだった』じゃなくて、『憧れのまま』なのである。

過去形じゃなくて、現在形なのだ。



それは、彼女はもちろん、彼女と共に戦ってきた仲間全員に対しても同じ言葉を言えるのだ。


そして、この状況は、『のこされる人たち』を信じてくれた 上のひと がいるわけで。

のこされる人たちを信じてくれたということに対して、私はとても嬉しかったのである。

仮にそれをさせてあげられないことだって、私はファンとして悔しいから。








はたからみたら 薄っぺらい感情で生きている と思われるのかもしれない。しかし、これが私の本心であり、だからこそ、それが微力だとしても、全員の背中を これからも押し続けていたい。




8であり 7であり 6である 音楽のカタチをいまこの場所で私が感じていられることに、感謝。
















ノシ










捨て身の覚悟でさ、やるだけやったなら。報われなくても、後悔はないよ。





バタバタし続けている2016年は、気づいたら下半期に突入していた。
卒業制作のペースをセーブしてもらいながら(当時は映像祭への出展の話があった関係で3本くらい掛け持ちしてた気がする)、生きてた。先月さすがに泣きすぎて、下半期スタートのこの時期は抑え込む技術を身につけたような気がする(笑)






*7月
・M(A)DE IN JAPAN@大阪城ホール

名古屋が初日だったこともあり、ぶっちゃけ、今年のツアーは諦めていた。でも(シーンは限られているものの)まさかの写真撮影の解禁があって、これはとんでもないものがあるんじゃないのかと思うようになって。
しかも最終公演地の大阪なら日帰りで行けるじゃないか…いまだけ就活を忘れさせてくれ、と一般発売でチケットをゲットして大阪へ。

ちょうど3連休だし誰か会えないかな〜と思っていたら、いくちゃんがわざわざ来てくれて。初めましてだったから無事に会えるかも分からなかったけど、阪急は目立つね。そこからお昼の場所が決まらなくて「人多いねぇ、どうしようねぇ」とか言いながら30分くらいひたすら梅田をぐるぐるしてたのも良い思い出。

そして、MIJ。
本当に『騙されたと思って1度観てほしい』と思える空間だった。瞬間瞬間にヒントがちりばめられてて、私のコンサートの感覚を作ってくれたのは彼女と一座とスタッフさんだと改めて思えた。
そして、『よっちゃーん!』を、今年も言えたことも嬉しかった。よっちゃんが元ジャニだって知ってる人も少なくなってきてしまってさびしい。
あゆのコンサートでは、毎回 開演前とかに、オーディエンスの方の何人かが中心になって ペンライトを合図にしながら『あゆコール』をするんだけど。私はこのコール以上に声が揃ってるコールを聞いたことがない。
城ホのあの会場でも、上から下まで、本当に綺麗に揃ってて。しかも、中心メンバーの方たち皆、強制的じゃなくて、『良かったらやりませんか?』『一緒にやってくれてありがとうね』みたいな顔で、それぞれがまわりを見ながら自然に引っ張ってくれてて。なんていうか、それがとても私は好きで、オーディエンスが一体になれてるって実感できるあの瞬間は、皆にも1度体験してもらいたいと思っている。



*8月
・区切りをつける

再追加公演として発表された日程は、まさかのお盆。就活を終えて行けたら最高だし、もし続いてもお盆だけは絶対ストップするよね、でもまず当たらないよな…なんて思いながら申し込んで、なんと当たる。
嘘だと思って頬をつねって、でも痛くて、夢じゃない。いや、嘘だろ?あたし行けるの?これまでEgのは全部外れてきたのに、SSAいけるの?…ってしばらく現実味がなかった。

幕が開いて、ErieさんのDJが耳を通り抜けた瞬間。一気に引き込まれた。フラッグを振ることすらも夢の空間だったのに、そこに自分がいる現実に感謝しかなかった。最初で最後だったErieさんの音にボーカルの音、パフォーマーの動きが重なった空間は、とんでもなく膨れ上がって破裂寸前なのに、その空間でいろんな感情が暴れまわってた。

そして、DJのないところでは、いろんな頃のいろんな歌が聴けて。Amiちゃんのシーンではイントロだけで涙が出てきたし、そこから、まさかショコラが聴けると思ってなかったよ。
ファンの方との交流シーンでは、感極まって泣きだしてる子に「大丈夫だよ〜」ってやさしく頭を撫でる夏恋ちゃんの顔がとてもすきだった。かわいい以上に「だからすき(泣)」ってなる感じ。
そして、Love,Dream,Happinessをみんなで歌うっていう夢を叶えられて、わたしは幸せです。

この空間では、飛んできた銀テープを取ったアリーナ後方エリアの前の方の席の人が、通路を挟んで後ろの人に順番に分けてシーンを見た。その通路が、溝っていうのかな?ちょっと開いてて、銀テープがわりとその通路の中に落ちちゃって、それに気づいた人たちが後ろの人へと必死に手を伸ばして渡してて。そういうことを出来る人って良いなあと思うし、自分もその立場に立ったら、同じことをしたいなと思う。しあわせ は みんなで分けあいっこ。



当日会場に向かうまでは、あしゃりんと偶然予定が合って声をかけてくれて。年上っぽさもないただのアホなヤツに付き合ってくれて、しかも帰りには局地的な豪雨で電車が止まるという問題にぶつからせてしまって いろいろと申し訳なかった。お互い落ち着いたらまたゆっくりお茶したいなあ。

そして、就活に対して完全に区切りをつけたのも夏。当たり前だけど全部自費でやりくりしてたってのもあったなのからか、県外就活でも県内就活でも親と揉めることはあまりなかったけど(そうならないように最低限のこと以外は意識的に喋ってなかった)、現時点では、これからどうなるのかなあ…って感じ。



*9月
・Vamp Bamboo Burn@赤坂ACTシアター
・AAAドーム公演決定


VBB。ちらちらとレポを見る限り『ヤバイ』しか載ってなくて何がやばいんやって思ってて。その理由がわかっても どのシーンでそうなるのかも観てみないとわかんないわけで。どうなるのかなあ と漠然と思いながらヤコバで東京へ。

今回の席は、実質 前から2.3列目とかなことに加えて、音が真正面から向き合ってくる席だった。また、あんな席はきっとこの先ないよなってくらい、ひとりひとりの指の先や目の動きまで見ることができて。舞台なんだけど映画を観ている感覚になったし、でもそれと同時にナマの舞台の独特の感覚になって。フィクションだからこそ面白いし、でもそうだよなあって思ったり。たのしいなあ。やっぱり。
…ちなみに私、実は保育園の頃から かぐや姫 の物語があんまりすきじゃなかったんだけど、その理由がわかった気がしたのはこの9月公演のとき。理由は、また気が向いたら話します←


AAAのドーム。ぶっちゃけ、嘘だろ?って思ったよね。しかも京セラだけじゃなくて東京も追加されて、事務所もこのドームに賭けてきてるのが伝わって。そして、ずっとずっと悔しい思いをしてきた彼らが夢を実現できるチャンスが与えられたことが嬉しくて。先行から落ちまくったけど、『今しか行けないんだから絶対に行く』ってことしか頭になかった。








この3ヶ月は、個人的にスパッと吹っ切れたところもありつつの3ヶ月だった。と同時に、吹っ切れたことで様々なことに対しての考えが変わりつつある時期だった。それが結果になるのは、最後の3ヶ月のときである。












ノシ