本音なんて語る資格がないと言われればそれまでであるが、インスタント食品は食べたくないのだ。










気づけばカレンダーを10枚めくっているそうな。

そして11枚目をめくりかけているそうな。

2020年の手帳コーナーが本屋のスペースを陣取っていたりするのはそういうことなのだと思う。


オリンピックのチケット抽選が行われていたり、選手内定の情報が出てきたり。

トーキョーと言われて シャァァアァアとか言っていたのが、もうウン年前という事実がおそろしいものである。お、も、て、な、し、っていつの流行語だったっけな…とかも思ったりする。



そのウン年の間に自分自身がなにかしらを失い、そしてなにかしらを手にできているのかは、不明だが。まあそういうことなんだろう。

いちばんになって必ず戻るから~~ここ~こ~くりつに~~とか言ってたのって、何年前だっけか。




いっそこのまま流れていって、おばあちゃんになってみようかとも思うのだが。

ただでさえ今でも目立っている白髪が今以上増えるのにそもそもの毛量は減っていくのは嫌だな、とか。そもそもおばあちゃんになったところで優先席に座らせてもらえるわけではないしな、とか。


免許は返納しなければならなくなるし、クルマを動かさなくなる代わりに自分自身を動かさなきゃいけなくなる。

正直、体力的にも精神的にも、きっとキツイな。うん。

いや、意味不明なところまで考えがちであるから、とりあえずここまでにしておこう。



さてさて、そんな私のよくわからない感情は置いておいて。本題。



もう少ししたら2019年が終わってしまうらしいけれど。何年経ってしまおうが、"わたし"は、なにも変わっていないらしい。


どうでもいいことばかりに目を向けては生み出さなくていいはずの感情を生み出していたり。

現実を見ろと言われるがままに現実を見ていたら、まわりは夢を見ていたり。



自分でもわかってはいる。

ズレてることくらい。

現に、自分で痛いほど、世界とのズレを感じている。



なにが正しいとかじゃなくて。

そもそも世界が違うのだと思う。




2019年って、たぶん、いちばん。

たぶん、いちばん、自分の中で"いろんな出来事"が重なっているはずなのに。

それなのに、時間軸の体感が無い。


ひとつひとつの出来事について、必死に噛み砕いて咀嚼するので精いっぱい。

やっとひとつ噛み砕けたかな?と思ったら、まわりはもう3種類くらい噛み砕いている。


タピオカの大きさよりも細かく砕いて、その弾力がなくなるまで噛み続けるのは、この世界では御法度らしい。



少しでも速度についていけなかった者は、1秒でも遅刻した者は、the end 。

…世界 というものはそんな単純明快な理論で展開されているんだな、なんて思う。




その世界に対してコース料金を支払っているはずが、その世界は インスタント食品のような情報をファーストフードばりに早食いして、回転率を上げていなきゃいけないそうだ。





現実、ちょっとしんどい。




早食い競争で得る愛なんて、この世界で、ホントに必要なのだろうか



なんて。思うんだー。わたしは。




もちろん、その世界に住む人たちは

ゆっくりでいいよー

とは言ってくれない。



まあ、事実として当たり前だ。彼らには伝えなきゃいけないものがすでにたくさんあって、すでに仕事のキャパを超えているのだから。

デスクに何枚も付箋を貼って この案件の締切はいつだ~とか至急案件が~とか、やっているんだと思う。


彼らには、彼らとして生きることに現時点での期限があるから。

人としてそうなるのは当たり前なんだと思う。




自分のペースでいいんじゃなかったのか?

わたしとしての体感は、コース料理の前菜が終わったあたりなんだけど。

彼らはもう、シメのデザートなのだろうか。



彼らが彼らを全うしようとすればするほど、彼らが生き急いで死に向かっているような気がして。


三者の外野であるわたしが苦しくなるのは、何故だろうか。







……そんなことを今、考えている。







ノシ