ただの殴り書き









今思えば、その人たちは、いた気がする。



いや、いた。




朝はまだしも昼に電車に乗り遅れれば無人駅で30分待って、

切符は降りるときに車掌さんに手切りしてもらい、

むしろ車を走らせる方が便利な、

駅前にコンビニなんかない、

むしろ警察すらいないから不毛地帯

田んぼと川と家しかない、

道路は1車線が当たり前な、

ドがつく田舎でも。




いちばんに思い出すのは、二宮くんがすきな女の子。

ドラマに出るたび、ニノニノって言ってた。

その子はいつも、女の子っぽい ピンクやフリフリがついた服を着てたな。

よく、お母さんネットワークの中で暴れてて、あれやらこれやら尾鰭がついた噂も流れてた。


……今は多分きゃりーちゃんがすきな、女の子。








そんな、ドがつく田舎にいると、得られるはずのないものが得られないことがある。その頻度としては、多いと思う。


当時は今よりも情報が入ってくる方法がなくて。

雑誌か新聞かテレビ番組だけといっても過言ではなかった。


地域限定の番組情報はほとんどわからない。

キー局すら、野球やらなにやらで放送が危うい地域。



……私は、そんな、ド田舎の、陰キャラのネクラな女の子だった。






もうちょっとかわいい女の子だったら、今も楽しめていたのかもしれない。
















自分がその塊に興味を持ち出して数年後、彼らは日本を飛び出した。


その時のことを こわい と表現する心の強さが、きっと5人だけであの会見を行えた 理論的な理由なのだろう。











あの日からの、


未来を悲観するまわりの考えていることが、よくわからなかった。



彼らはたしかに、未来を報告した。



しかしその上で

あれだけ意識して、

今をいっしょに楽しもう

伝えてくれているのに。



後ろには明日がないから、

前を向いて今をいっしょに楽しもう。

……と、20年前の過去も20年後の今も

きっと同じことを言っているのに。



永遠なんてないことを拒絶するかのように、最後を拒んでいる。

そして撤回 復活 を望んでいるのに、最後 と表現する。

その理由がわからなくて。



まるで、今だけを生きたら殺されるような。



ひとは

いまだけしか

いきられないのに。




……その空気が、どうも私は苦手らしい。





しんどかった。


だから、

声を聞けば

あらしだいすき!

とエコーが流れたあの日と同じように

興味のないようなこころを磨いたんだと思う。














それをバッサリ斬ったのも、今日の彼らだった。






未来が見えなくてもがいた彼らが

いまだけを考えて生きていいと

教えてくれているような気がして。




何も考えてないと言われてきたネクラなド田舎の人間にも

いまを生きていていいんだと

きみだって置いていかないから大丈夫だと

言われているような。





そんな感覚がしている。













……でもこれ、まだコース料理の前菜とかなんだもんなあ。



ふふ、さすがだね。




嵐の皆さん。








ノシ