2015年を現場も含めて纏めてみようのコーナー 〜上半期編〜





2015年も残り10日を切ってしまった。きっといつでも同じように時計の針は動いていると思うのだが、どうも体内時計は予定より早く回るように出来ているみたいだ。というわけで、今回は手帳と日記を片手に、私にとっての2015年の上半期を考えてみようと思う。








*1月
・吹雪の中バイト
フィギュアスケートフェスティバル
・成人式を迎える
・テストと課題に追われる


新年早々に吹雪だった2015年。めぇに全滅したのでとりあえず年末年始はバイトしまくっていた。セールと帰省がカブる駅ビルの喫茶店はまじやばい。あたふた。てんやわんや。

スケートは名古屋の小さなアイスショー。特別ゲストは安藤美姫さん、あとは本郷理華選手や村上佳菜子選手、宇野昌磨選手とか、東海のノービスやジュニアの選手が来ていたのだが、演技を見ながらいろいろと考えさせられたし、小さい頃から見てきた選手がそこにいて、親的感覚にもなった←

成人式は、誕生日が来てないから正式には成人していなかったのだが、こうして式を迎えて不思議な感覚になった。転居の関係でどこの式と同窓会に行くか悩み、結局、住んでいる時間が1番長い所に行ったのだが、それで正解だったと思う。なおこの時期の私は、髪色がMAX明るい期で写メによっては金髪にも見える、"やんちゃ期"だった。

その後は、課題とテストの日々。東京に行っている時間がないと判断したので、舞台はチケットの時点で頭から消えてましたごめんなさい。


*2月
・はたちになる
・横浜〜宮城〜山形〜東京の旅
・足をやらかす(1回目)
VS嵐ありがとう


リトラのマチイチを見ながら誕生日を迎える(コロッケパン美味しそうやな〜と思ってたら誕生日だった)。

はたちになったということで、2泊3日で、横浜の友達に会う→宮城に帰る→山形の相方に会う→東京経由で帰るという我ながらハードな旅を決行。ちなみに2日とも友達が家に泊めてくれたので宿泊費は¥0な上、横浜に行くときと東京から帰るときの交通手段はバスにしたので交通費もトータル3万円くらいの格安旅。泊めてくれた子たちには本当に感謝しかない。
この旅で宮城に帰れたことは私にとって かなり大きかった。その日は仙石線もまだ再開していなかったし、何せドンピシャで雪の日に行ったので、行きたかった場所も全部は行けなかったのだが、私にとって宮城が大事な場所なことに変わりはないし、また帰りたいと思う。

足は…簡単に言えば階段を踏み外して転けたのだが、転け方を失敗したのか、足首が補整器具装着生活になるというオチであった。オトナと呼ばれる年代に突入して早々に、リハビリを含めて半年ほど整形外科にお世話になるという…やらかしたやつである。

そしてそして、2月はVS嵐。正直びっくりを通り越して「( ゚д゚)ファッ?!」のような顔だったのだが。はい、永久保存です。
コロコロスイーパーにいたっては今でもたまに見返したりもする。カメラさんも編集さんも抜いてくれてありがとうございます。同じコーナーに出るのも確率的になかなかないのに、まさか正面衝突すると思わないじゃないか。本当に、感謝感激雨嵐。
思えば、この後、相葉くんと流星くんは月9の共演もあったわけだから…人生、何があるかわからないものである。


*3月
・BLOOD Brothers


当時のリヴァプールのことや世界情勢も自分なりに調べて。どうしても行きたかったから、足を若干引きずって久しぶりの大阪へ。
行ってよかった。
いろんなところでいろんなことを思った。上手な言葉が見つからないのが悔しいが、言葉遣いから身なり、指先や目線まで、瞬間瞬間の要素がストーリーで繋がっていく感覚。何より、「講演会を聞きに来た人」という瞬間的な感覚は忘れられない。ありがとう。
…ちなみにその日は関西ジュニアのとある3人が見学に来ていて、春コンに行かなかった私は、その中のとある子は、あの場所が最後に見た姿だったことが、少し胸に残る部分でもある。


*4月
・リハビリを本格始動、バイト復帰
・黒染めをする


とある資格試験の勉強をしながら、1ヶ月後に控えたライブ月間のために足のリハビリという名の筋トレを本格的に開始。病院のお金も必要だし、いつまでも休んでられなかったからバイトもレギュラー復帰。しかし試験には落ちるわ足はなかなか治らないわでちょっと荒れる。荒れたから黒染めして心機一転。実習登録のための写真も黒染めした後という"一見 真面目っ子"になる。


*5月
・パリピポ
・Cirque de Minuite


パリピポ。BBは行ったけど、それまでの現場には行けなかったので、実はジャニーズWESTとしては初めての現場だった。しかも、関西か東海が主体の私が関東会場、さらには横アリ最終公演。グッズ列の時間のことも聞いていたし、とりあえず始発の新幹線に乗った。そこで、後ろに並んでた人と仲良くなったり(しかも地元が近くて乗っていた新幹線も同じだった)、会いたかった人にも会えて。彼らはちゃんと生きていて。現場に1人で行くことが多い私にとって、人生初の横アリはかなり濃い時間を過ごせたと思う。

Cirque de Minuite。彼女と一座の世界が、ちゃんと在った。私の、ステージや舞台に対する考え方を作ってくれた人の空間で、人生で初めて、その空間の中で涙が止まらなかった。劣化していると言われようが、私は多分ずっと彼女がすきなんだと思う。

ATTACK ALL AROUND。10年って早い。デビューからそんなに経っていたのかと、ステージを見ながら思った。彼らの通ってきた10年、8人であり7人の彼らの10年。いろんなことを考えた。
そして、どの構成でも、ガイシは本当にどこでも見える。建物自体に縦幅がないから、立ち見でも全然見えるのがガイシの特徴。


*6月
・Leo Ieiri -20-
・Les Misérables


20。デビューした時からチェックしている家入レオちゃん。気づけば彼女の現場も3回目だったのだが、音楽や何かに対してストレートな詞をぶつけてくる彼女の作る空間は、オーディエンスとの「ぶつけ合いの場」だなあと改めて思った。男の子も女の子も世代を問わずにひたすらに彼女と音楽にぶつけ合える空間。今回も彼女はたくさんぶつけてくれたし、また自分もぶつけたつもりである。

Les Misérables。ずっと観たかった舞台。今回のエポニーヌ役の4人のうちの1人がBBのリンダでお馴染みの昆夏美さんだったのだが、偶然、自分が行った回のエポニーヌが彼女で。私は映画や原作の頃からエポニーヌが好きで、また昆さんのことはBBの前から知っていたのだが…言葉で言うなら、「彼女はエポニーヌだった」。感情が入り込みすぎて ずっと我慢していた涙は、最後の「民衆の歌」の頃には止まらなかった。素敵な舞台に出逢えたと思う。







…と、上半期を長々と書いてみたのだが、きっと私は下半期も長々と書くのだろう。戻りたいとは思わないけど、振り返ることはする。そして次へと進むのが私だと思うから。











ノシ












想像力を勝手に膨らませた結果、こんな感じになりました。





ジャニーズWEST 2ndフルアルバム、「ラッキィィィィィィィ7」。私は初回盤だけを買った。というのも、ジャニーズに限らず、普段ほとんどシングルはレンタルのことが多いし(もちろんCDによっては買う事もある)、アルバムの場合は初回盤は買うが通常盤はほぼ買わないor通常盤のみ買う人…つまり「売り上げに貢献しない人」なのである。初動枚数と売上枚数が結果として残される時代に、彼らをすきだと言ってる人間が何をやってるんだ・通常盤も一緒に買えや・てかフラゲするか発売日に買うか受け取れや!と三大言葉を言われてしまう気がして怖かったりする。だから先に声を大にして言う。



こんなヤツでごめんなさい!!!!



というわけで私の耳は まだ初回盤の曲しか聴いていないのだが、とりあえずそれを聴いた私の感想として一言目に挙げるとするならば。

これはツッコミどころ満載なモノをぶち込んできた。

という言葉である。

もはやどこから突っ込もうか。 ど頭から最後までいろいろ突っ込みたいが、とりあえず2曲を選んだので、それらについて長々と書こうかと思う。
なおこれはあくまでも私の個人的感情であり勝手なストーリーでもあり、ネタバレもあると思うので、それらが好きではない方はここで画面を閉じていただけるとありがたい。

























個人的に現時点で私がピシャリとハマったアルバム曲は、ホルモンとEternal。この2つは聴く前から勝手にかなり期待していた。ホルモンはメンバーのほぼ全員が推してた気がするけど、絶対楽しい曲だと思っていて。EternalはCan't stop〜Criminalからの…という感じだと風の噂で耳にしていたので、三部作キター!やべーキター!と、聴いてもいないのに勝手にひとりで沸いていた。

いやー、すきだわ。ドンピシャ。

まずはホルモン。
ホールモンっ関西に伝わりしダイヤモンっ。
…って、いやー、楽しすぎかよ。ワッショイ!とか、楽しすぎかよ。

でも聴いていくと、「大器晩成」とか「放るもん」とか…なんだか、彼らのことを例えてるというか。タンやカルビやハラミ…といった、まあいわゆる「花形」の立場に居るのは、申し訳ないのだけど、彼らの「先輩」の方々のことかなあ、と思ったりした。
また、ホルモンというのは飲み込みにくいものもあって(実際私もホルモンは飲み込めないのであまり得意ではない)。いくら関西としてお笑い担当と言われていても、彼らの「ジャニーズアイドル」という「仕事」は、全員に好かれるわけではない。仮にアイドルでなくても、どの世界にいても、人間には好き嫌いが分かれるのが、残念ながら現実なのだ。
そんな「ホルモンの立場」でも、好かれた人には好かれ続けていたいし、好かれ続けるように努力する・俺らはまだまだこんなんじゃねえぞ・俺らの魅力、伝わってねえな?覚悟しとけ?7人でやったるで?…っていう彼らの感情はもちろん、てっぺん取るために無駄なことはないし、王道ばかりじゃない・俺らは俺らの色を出すぜ?攻めてくかんな?…みたいな感情も入り混じっているような気がしてならなくて。ある意味、聴く人に対して挑戦状的な曲だと思った。嵐で言うなら、「cool&soul」みたいな。ああー、正しい言葉が出てこない。が、そんな印象を受けた。


Eternalは、コンサートでフルで聴きたい。カットは嫌だ。と、強く思った。
Can't stop〜Criminalと続いてきた、とあるストーカー男(だったよね?)の、曲がっていて真っ直ぐな愛の話。
私は、Eternalを聴く前からCan't stop〜Criminalの中で時折出てくる、女声のような、メンバーの声ではない声に重きを置いていた。
弾けた音から始まる男の愛のストーリーはあくまでも妄想であり、薬指の指輪はきっと愛してしまった現実世界の女の、現実のシロモノ。愛は叶わないわけがないと叫ぶのは、たぶん、男だけ。まあつまり、一方通行な愛でしかない。愛がゆえに彼女を自分の世界に連れ去っても、それはきっとすべてが妄想で。そして、「Dream…」と呼ぶ、ここは夢だと伝えている現実世界の女の声が、きっと男にも聴こえていて(私にはCriminalのBメロでDream…と聴こえるところがある)。なのに、自分の感情がそれを遮って…もしかしたら、ある意味で「夢と現実の区別がつかなくなるほど変わってしまった」男がいたのかもしれない。
そんな男の妄想の成れの果て…それが、Eternalなのかな、と。そんなことを思ったのである。

目に見えるものが「思い出色」として挙げられるセピア色に変わりつつあるストーリー。
「永遠」と「終わり」や「刹那」と「永遠」という、矛盾の表現。
そして、闇の中にいた自分が夜明けを迎えるという、終わり。それは、きっと男の中では綺麗なモノ。
それでも、頭の中で分かりきっていても、世界中が敵になっても、ひとりの女への愛を止められないし終わらせたくない、男の心からの本音。だって自分が見つけた輝きはその女であり、自分のすべてなのだから。

ラストサビに入る前の英語を聴き取るには私には至難の技で、神山くんのところですら
You're my everything,so baby love me sight.ーあなたは僕の全て、だからきみも僕の見えるところで愛していて…
という感じにしか聴こえていないのが悔しい。なんなら本人にどう言っているのか聞きたいところでもある。
そして、ラストサビまでは妄想の中にいるが、ラストサビ直前の桐山くんの声が現実世界へ引き戻し、ラストサビは現実に戻って我にかえる、「終わりを迎えた男」の、「終わってしまった愛」への嘆きというか、懺悔というか。「君がいないと、ココは永遠に暗闇の中だ」と、光を見失った現実の海に溺れ死ぬ、ストーカー男のオワリ……というストーリーが私の中で出来上がったのである。
わあ、長っ!長すぎるよ!重いよ!怖いよ!

でも、こんな三部作をデビュー2年目のグループが歌うということは、私の中ではかなり衝撃が大きかったりする。Eternalはコンサートではそれまでの2曲と同様、ダンスナンバーになると私は思っている。その中で彼らの愛の形というかストーリーが見たいし、私の場合のストーリーを描かせてくれてありがとう、ジャニーズWESTという状態なのが、Eternalを聴いた今の私である。



…と、長々と語ったが、その他にもツッコミどころがある。本当はそれも長々と書きたいところだし、ユニット曲を聴いたらそれでも書きたいところだが、書き出すと止まらなくなりそうなので、今回はこれにて、おーしまいっ!…ということにして、また気が向いたら書こうと思う。まあ、気が向くかはわからないけど。







ノシ








ソレは時に台風を巻き起こすけど、大丈夫、きっといつか晴れると思うから。





突然消えた。
突然わからなくなった。
突然終わった。



それは突然であり、また早すぎるほどに細かいところに広がってゆく。


事情により地元から出る進学を諦め、大学を選びなおしていた時だった。

こっそりとチェックしていた関西ジュニアのとあるグループから2人の名前が消えた、あの日。7人から6人になった時も衝撃はあった。けれど、あの日はそれ以上の衝撃だった。SNSでもそうじゃなくても誰にも言ったことがなかったが、私が関西ジュニアやそのグループを知るきっかけになった人物が、消えたその名前に含まれていたからである。

6人でデビューするんじゃなかったの?ラジオしてたじゃん。夏のことも言ってたでしょ?…その感情が駆け巡って、学校帰りに雑誌を立ち読むことすらしばらく出来なくなったのを覚えている。



その名前を聞けば「ああー」と思う人もいるかもしれないが…きっともう過去の人だ。現に当時の私は「担当制度」がイマイチ理解しておらず、「担当」だったのかと聞かれると答えに困ってしまう。
ただ、私は彼が居たそのグループがすきで、もちろん彼のこともすきだった。「だった」と言うのは彼がもう「表舞台に居るアイドル」ではないからで、もちろん人間として彼のことが嫌いになっているわけではない。ただ、「その時期」は確かにもうなくて、1人はソロとして、また、あの日以降の4人は4人グループで活動し、いろいろあったが、ジャニーズWESTとしてデビューをした。また、一緒に名前が消えたあの子も今は別のグループで活動を頑張っている。でも一般人として生活する彼の情報は、当たり前だが、あの日から、ほぼ、0である。彼が辞めてから風のように現れ去っていったあのグループですら私はあまり理解していなかったし(というより意識的にシャットアウトしていたところもある)、ここ最近 情報として流れていたソレも全て風の噂でしかなくて、「信じるか信じないかは自分次第」という、グレーなモノでしかなかったのである。

しかし今回の「発表」で、風の噂だったものが本物に変わって、思わずリツイートボタンを押してしまった。と同時に、あんなに衝撃を受けていた3年前の自分から変わっていたことも自覚した。もちろん衝撃はあるし感情は渦巻いている。もし仮にあのまま6人でいたらどうなっていたのだろうと思う瞬間も…申し訳ないのだが、在った時期もあった。

でも私は彼の笑顔やダミ声も、可愛い顔をして内に秘めるギラギラな性格も、確かに、すき「だった」のだ。
シゲが大好きで、流星くんにイジられて、神ちゃんには甘えて、小瀧にはお兄ちゃんになって、ガッキーとシンメで、優馬にさりげなく気を遣っていたきみがいたから私は関西ジュニアを知ったんだってことと、「Hey! Say! 7 WESTと7WEST」がすきだったことは、変わらない事実だから。


ジャニーズとしての彼の夢は叶わなかったのかもしれない。だが、彼にとっての夢はそれだけではなかったはずで、それは小さな夢であり大きな夢であると思う。その夢を背負った「6人」は芸能界でもがいているし、彼もまた、選んだ先で抱えていた夢を叶え、もがいている。それでいいんじゃないか。人生、きっと「なんでもいい」のだ。
…と、この情報を得て感じたのは私だけかもしれない。


「彼らを嫌いになる理由がない」と言ってくれたあの時。もし今もそう思ってくれていて、今回のことを5人にもちゃんと伝えてくれていて、そして、5人がそれを聞いて、笑って「おめでとう」と声をかけてくれているのなら…WESTlyとして、私はとても嬉しく思う。















ノシ







何が言いたいのかと言いますと、とりあえず頑張ろうってことです。




ジャンルを問わず、どのアーティストにも、ライブの前になると必ずと言って良いほどSNSで見かける「お譲りします」という文字。

その日に急用が入ったり、病気にかかってしまって行くことが困難になったり。その理由は様々で、チケットが余ってしまうという状況はいつでも・誰にでも・いくらでもあると思う。でも1人でも多くの人に、空いたその空間で自分の代わりに観てもらいたいために(その感情の中には自分自身のチケット代をその人から「返金してもらう」という意味も含めてかもしれないが)、「お譲りします」という文字を付けて、情報を発信するものなのだと私は思う。

この「お譲りします」という言葉と同じ部類に、「定価でのお譲りは考えておりません」「即決あります」という言葉が存在する。はたから見たらコレらはただの行為の一環なのかもしれない。だが、私はこの言葉に引っかかりを持ち続けている。

私が推しているとある女性芸能人が、「チケットはただの1枚の紙きれだけど、それはたった1枚の神きれ」という意味の言葉を使っていて、私はそれに強く感銘を受けた。そうなのだ。その紙はただの紙であり、また、いろんな偶然が重なり合ってできた奇跡の塊なのだ、と。

簡単に買えない、紙きれであり、神きれ。

自分で汗水流して働いて稼いだり、何かを我慢して貯めたりして、お金を用意して。無数の確率から「当選」に選ばれて。ソコにたどり着くまでにいろんな感情が重なるものでもあると私は思う。だからこそ、なんというか…先述した言葉を見るたびに言葉では説明できない やりきれない感情が私の中に生まれてしまう。

まあ、この感情を持つことだったり、これらの言葉以外にも在る「譲ってもらったので定価不可」という言葉にも、いやいや、それ理由にならなくね?…という感情を持っても良いと思ってるのは、もしかしたら私だけなのかもしれないが。


神きれが紙きれ以下として、ビジネスされること。それは、どのアーティストでも存在する、「れっきとしたビジネス」なのかもしれない。そりゃお金はあればある分「裕福なコト」が出来るし、より多額を支払えばその空間に居るコト自体は可能だ。でも、「お金のお金としての価値」と「その空間の価値」が下がることが本当に悔しい。

もちろん、「譲ること」自体を批判するわけではない。先述したように「譲る状態になってしまうこと」は、いつでも・誰にでも・いくらでも存在するのだから。これは誤解しないでいただけるとありがたい。

それを踏まえた上で、これは個人の価値観の違いがある以上答えも出ないし、答えとしては私の個人の価値観でしかないが、どうかその紙きれが神きれのままでいてほしいと願うばかりである。









ノシ









久しぶりにブログというツールを使ってみた。


思い出してみれば、初めて自分個人用のケータイを持たせて貰えた高校時代から、私はブログというツールを使っていた気がする。

当時はいわゆる「ブロガー全盛期」で、現在はAnk Rougeディレクターの松岡里枝さんなど、様々な「ブロガー」と呼ばれる方が雑誌に載っていた。
ブロガーであるが芸能人とは違って「普通の生活」をしている、髪を染め、お化粧をしてスタイルも良い彼女たちに、収入源も無い、黒髪ですっぴんな上にスタイルも悪い高校時代の私は憧れを持っていたのかもしれない。


ケータイにフィルタリングが付けられていた当時の私は、フィルタリングに引っかからない前略プロフィールやリアルタイムから始まり、様々なブログサイトを使っていた。そこで出会った、実際に会ってその顔を見たことのない様々なブロガーさんや投稿者さんに、自分からコメントをしたり足跡を付けて関係を築いていた当時の自分が、いま思うと少しだけ羨ましく思う。


そんな高校時代を通り過ぎた現在は、バイトも3年目を通り過ぎ、言ってしまえば学生時代も折り返しを過ぎて終わりを意識してしまっている。周りが続々と黒髪に変身する中で、未だ茶髪。いや実際は9月までは企業(現場)実習のためという理由や髪を染めることに面倒臭さを感じ、黒染めをしていたのだが…実習が終わった途端に「だめだ、頭の上に太陽が来るとココは鉄板だ!染めよう!」という感情が勝ってしまった。もう少ししたら黒染めをしようとは思っている。もう少ししたらね。




…と、ど頭からダラダラと書いてはみたものの、このブログは、ブログを久しぶりに開設した 好きな何かが多すぎるとある人物が、あんなことやこんな事を言葉にして残してみるブログである。

何せ「好き」が多すぎるので、時々ワケがわからなくなるかもしれないけれど、気まぐれに気楽にいこうと思う。











ノシ