時代がどれだけ変化し続けても、ずっと変わらないものが、此処には、ひとつあるから。








彼女の曲や言葉が好きだと言った後、相手から返ってくる言葉のほとんどが「彼女のことが好きなんて、ありえない」という言葉なことには、もう慣れてしまったような気がする。

たしかに言われてみれば、私はその時代のド真ん中といわれる時代に生きていると自信を持って言えるわけでもないし、服装やヘアメイクを真似していたかと聞かれると、そういうわけでもない。


そして私も、返ってきたその言葉に なにくそと反抗して喧嘩を起こすこともなく、「まあ、ね」と言葉を濁して苦笑いをするのが現実である。
だってヒトの好みなんて十人十色だし、誰かが好きだと言われるソレはもしかしたら誰かは嫌いなんて、それこそ「十分に ありえる」のだから。だから、嫌いが少ない私自体こそ、ある意味で「ありえない」んだろうなあと思ったりもする。



そんな私が彼女を知ることになった根本的な曲は、小学生の頃にミュージックステーションで見た「M」という曲だ。

筆記体であったたった一文字のアルファベットが読めなくて、いったいどう読むんだろう?と思って。
そこから、その曲を歌っているのが浜崎あゆみという人物であると知り、レンタルショップで「M」を見つけるのである。

そこから様々なCDを借りたり買ったりするようになるのには、お小遣いが貰えなかった私には少し時間がかかるのだけども。



きっと私は、昔から「変人」だったから。


…そうだったから、当時から、彼女の繋ぐ言葉と音と映像に 自分の中身の芯を当てはめたり重ねたりして、〝自分〟という存在の意味を、自分なりに理解しようとしていたのかもしれない。

マイナスでしかなかったものにマイナスを引いたら、「怖いものはない」のだ。
…そういう答えにたどり着いたのも、彼女がいたからである。



でもね、そんな昔からの変人は、ただのステマかもしれないが、これだけは言い続けていきたい。



1回、騙されたと思って、彼女の曲を聴いて、ステージを観てほしいのだ。


音楽や映像、コンサートに対して、自分で受け止めて咀嚼して考えるその根本が変わるから。


空間でしかない部分が空間以上になる。
音でしかないものに世界がやってくる。
言葉に対しての感情が湧き出る。


表面も裏面も知りたくなるし、その中身が解ると、全ての謎が解けるあの感覚は、本当に独特なものなのだ。



今年発売されたMADE IN JAPANというアルバムは、人間という生き物が抱く根本的な感情と重ねる一瞬たちの「根っこ」を、ある意味で とてもストレートに表現している作品のような気がする。


そこから考えていくと、ライブのMADE IN JAPANやミュージックステーションでも披露された FLOWER のあの獅子舞は「獅子舞」ではないのだと思うし、それを一つずつ解決していくことが、それをみたりきいたりするオーディエンスが唯一できる「曲と向き合う時間」なのだと思う。





…っし、もっと聴き込もう。








ノシ